2回戦当日
移動前、竜也はいつものように祐里に声をかけている
「今日はスタメンだから、試合終わるまでお話しできなくて僕は寂しいよ」
例によっての軽口
打席前の“儀式”というか“ルーティーン”というか
打順が来る前、3人前になると竜也は一切の接触を拒むかのように集中モードに入る
守備から打順に入る際は例外だが、その儀式を行うからこその高打率だと自他共に認めていることもあり、他の部員も一切声をかけて来なくなる
ネクストに行ってもそれは続いている場合がほとんどで、試合中はいつも以上に大人しい
祐里もそれを知っているので、無言で自分の胸を右拳で叩いてからの拳王ポーズで激励
それを見て竜也はニヤリと笑うと、どこからともなく赤いバラを取り出すとそれを祐里に差し出す
目を丸くして驚く祐里に、竜也は素知らぬ顔で“逸材ポーズ”
「まあ今日が最後の試合にならないよう、頑張ってきますよ」
軽い口調でそう言ったが、いつそうなるかわからないトーナメントの恐ろしさ
「あと3勝で甲子園かぁ...遠いね」
祐里が思わず嘆いたように呟くと、竜也はニヤリと笑みを浮かべる
「最後まで諦めずに戦います(残り試合9でマジック6で独走状態の糸井嘉男ism)」
試合は浩臣が圧巻の立ち上がりを魅せ、11球で3者三振の極悪全道デビュー
伊藤くん、やりすぎだわ。市予選の初戦よりえぐいわ
あの時は12球での3者三振だったなぁと思いつつ、竜也は先頭打者としての打席へ
市予選では警戒されまくりの中だったが、道予選はどうなるかと注目されていた
相手投手の投じた初球スライダーをものの見事に宇宙間(糸井ism)に運ぶ二塁打で、本人は内心一安心なそれ
あくまで平静を装いつつ、塁上で静かに右拳を掲げるとベンチ、そしてスタンドから大歓声が上がった
そして竜也はリストバンドにキスをする真似をしてさらに歓声を沸かせる
「ったく、おいしいとこ持って行くなまじで」
浩臣が苦笑しながらネクストへ向かいつつ、祐里に向かってそう呟くと祐里は静かに頷いて同意を示している
京介のセカンドゴロで竜也が3塁に進塁し、浩臣は打席に向かおうとするとネクストに来た千原から声を掛けられる
「内角攻め来るかもだから無理するなよ。先制点は俺があげてやるから」
主将としての心配りを受けたが、浩臣は軽く右手を上げてそれを受け流している
千原の指摘通り初球に内角の直球が来ると、はい、知ってましたとばかりにそれをライト線へ運んでみせる
あっという間にフェンスまで到達するそれで、竜也は両手を叩きながら悠々ホームイン。浩臣も息を切らさず3塁まで到達
「俺の助言を無視した上にそのまま生かしやがって」
千原は高笑いしつつ、塁上の浩臣に左拳を上げてみせる
浩臣はそれに対し、ヘルメットに手をかけ頭を下げるふりをしておどけてみせた
歩いて返してやるわと宣言しつつ打席に入った千原だったが、さすがに球場が広すぎた
ウォーニングゾーンまで運ぶレフトフライで、ある意味ゆっくり歩いて帰ってこれるそれ
浩臣はベンチに戻ると、竜也と静かに右拳を重ね合う
「2点あれば十分だわ。後は竜たちに任せるから」
予告通り、その後も圧巻の浩臣の奪三振ショー
4回まで完全。三振も8個奪っている状況だが、渡島から代わるか?と早くも打診されている
打線も繋がり6-0となっているからの配慮だったが、浩臣はそれを固持した
「今日は俺に任せてくれるって言ってましたよね?」
言ってニヤリと笑ったのを見て、なぜか渡島は祐里を呼んでいる
何事か耳打ちされた祐里は、あははと笑いつつ浩臣の左肩をポンと叩いた
「準決勝、決勝の先発がなくなるけどそれでもいいのか。だってさ」
言われ、浩臣はマジっすかと思わず呟いて呆然
ブルペンでは右内が投球練習を開始しており、交代は既成事実な様子
「市予選でもあんま投げてないから、今日は最後まで投げたいんですよ」
浩臣がそう漏らしたのを聞いて、ネクストに向かおうとする竜也は祐里と同じように浩臣の左肩をポンと叩いてから渡島のほうをしっかりと見据えた
「5回で終わらせますから。あと1イニングだけ行かせてあげてください」
1死満塁となっている状況、確かにコールドに持って行ける可能性はある状況
大言を口にしない竜也にしては珍しいそれだったので、祐里は思わず目を丸くして驚いている
「わかった、あと1イニングだぞ。ただし...準決勝は絶対に先発では使わない。いいな?」
日程が詰まって来ることからの配慮。2回戦から2日後に準決勝、そして1日後に決勝戦
投手が3枚いるとはいえ、絶対的大黒柱の浩臣と比較すると、久友や右内にはそこまで信頼を置いていないというのが渡島の本音なのかも知れない
「わかりました。竜、頼むわ」
浩臣はようやく納得したように頷くと、竜也の尻をポンと叩いて激励する
満塁のチャンスで、ネクストで竜也が待っているがその前に9番の和屋が打席で魅せてくれた
“この地に今舞い降りた 西陵の救世主 桁違いの酒豪 見せつけてやれ”
未成年の応援歌とは思えない歌詞に乗せて、和屋が運んだ打球はまさかのセンターオーバーの2塁打
走者一掃のそれで、和屋は2塁塁上で派手なレインメーカーポーズを披露していた
じゃあ俺が和屋ちゃんを返せばジ、エンドってことね
本日2打数1安打、1ホアボールの竜也が左打席へ
1塁が空いている場面だが、この状況で敬遠はないだろうなと内心考えている
真っすぐ、カーブ、スライダーしかない投手で、この回は真っすぐを狙い撃ちされている
となれば、だ
またしても初球だった
狙い通りのカーブを“掟破り”の3塁線へ流すそれ
ベンチの全員どころか、敵やスタンドで見守る美緒や未悠も予想できなかった華麗な流し打ちからのスタンディングダブル
竜也が塁上で見開きポーズを披露しつつ、またもリストバンドにキスをする構えまで来たところで2塁へ向かってきた那間にそれを止められた
「はい交代。ベンチに戻ってどうぞ」
促され、竜也は例によってがっくり項垂れながらのベンチへの生還をする羽目に
祝福攻めで揉みくちゃにされているが、竜也は交代されたことの“不満”を露わにしているので祐里がそれを窘める
「あんたさ、出られない選手もいるんだからその態度はよくないよ」
耳元でそう囁かれたが、竜也は静かに首を振ってベンチに腰掛けた
バッティンググローブを脱ぎつつ、尻ポケットに入れていた美緒から貰った手袋に「ごめんな」と小さく呟いているのを見て、祐里はそういうことかーと一人納得していた